対象読者:CEO、社外取締役
アクティビストの提案は多くの場合、論理自体は誤っていない。経営の現場制約を捨象し、 市場と経営の判断の「前提のズレ」を鋭く可視化するからである。
ただし、論理的であることと経営に最適であることは別問題だ。
重要なのは、どのような条件下において、それらの提案が市場で合理的に見えるのか、そして経営がそれを退け得る条件と修正を迫られる条件を見極めることである。
1. なぜアクティビストの提案は「乱暴」に見えるのか
アクティビストの提案は、経営の立場から見ると、しばしば次のように映る。
- 現場を無視している
- 実行可能性を軽視している
- 短期的すぎる
しかしこれは、提案が極端だからではない。
同じ企業を見ていても、評価している前提と、最適化している関数が、例えば以下のように異なる。
この前提の違いが、提案を「乱暴」に見せている。
| 市場・投資家 | 経営 |
|---|---|
|
|
にもかかわらず、アクティビストの提案が市場で説得力を持つのは、なぜか。
それは、彼らが「痛いところを突いている」からである。
2. 「痛いところを突いている」とはどういう意味か
アクティビストの提案が市場で一定の説得力を持つのは、次の点にある。
- 経営が暗黙の前提としてきた制約を、あえて無視する
- 他社や代替案との比較を、極度に単純化して突きつける
これにより、企業価値評価上の論点が露出する。
ここで重要な誤解を解く必要がある。
これは、経営判断が誤っているという主張ではなく、むしろ逆に
判断の前提が、投資家・市場・社外取締役等から見えないため、
株価、PBR、企業価値等の評価に反映されていない
という状態を強制的に可視化しているに過ぎないのだ。
3. 経営が提案を採用しないことは、合理的であり得る
多くのアクティビスト提案は、そのまま採用されなくてよい。
採用しないことには、明確な合理性が存在する。
-
実装リスク
(人材、技術、規制、取引先) -
時間軸の不一致
(短期評価と長期競争力) -
組織的制約
(合意形成、役割分担、意思決定プロセス)
これらの提案を退けること自体は、経営の判断である。
では、なぜ経営は時として戦略を変えざるをえないのか。
それでも戦略が変わる瞬間は、どこで生まれるのか。
4. にもかかわらず、戦略転換が迫られる瞬間は、どこで生まれるのか
問題は「採用するか否か」ではない。
前提が、どこまで市場に許容され、どこで許容されなくなるかである。
では、その変化の条件は何か。
その際に、合理的な戦略の基準が動く条件は、次の3点に集約される。
| 誘因 |
同業他社が採用、株価の長期的低迷、株主、借入先等 資本市場からの圧力で採用しないことがマイナスと判断される力 |
| 制約 | 規制、契約、技術成熟度 |
| 外部性 | 金利環境、競争環境、M&A市場の変化 |
これらが変化したとき、
「これまで合理的だった不採用判断」が、市場では非合理的と見なされる瞬間
が生じる。
5. 本質的な論点:是非論ではなく、判断前提の言語化
アクティビストの提案を巡る混乱は、
- 正しいか、間違っているか
- 受け入れるべきか、拒否すべきか
という二択で考えようとするところから生じる。・・・では、本質は何か。
本質は、次の一点にある。
- 経営は、何を前提に、何を犠牲にし、何を守っているのか
- その経営判断の前提は、どこまで市場に共有されているのか
この整理がなされない限り、是非論は繰り返され、構造は何も変わらない。
そのような環境下で、経営が取るべき行動は何か。
まとめ
アクティビストの提案は、経営を否定するものではない。
それは、
経営判断の前提が、どこで市場と接続できていないかを示す「症状」
である。
この症状を、
- 感情で拒絶するのか
- 是非論で処理するのか
- 構造として理解し、次の判断に組み込むのか
その分岐点に立つのが、経営である。
注記(免責)
本稿は、特定の企業や案件を評価・批評するものではありません。
市場と経営のあいだで生じやすい構造的論点を整理したものです。